「サイエンス氷河期」は順調に深行中.

科学研究費が充分に確保できない状況にあると聞く,どのような比較評価の結果「充分に確保できない」と言われているのかは判らないが.あるいは,日本発のオリジナリティのある論文数が少なくなってきていると聞く,新聞で国別論文数グラフを見たことがあるのでそれはまあそうなのだろう.研究費不足のため論文数減少が進んでいるとも言われるが,両者の関係性が本当のところどうなのかはこれまた判らない.

しかし,国内におけるサイエンスの金銭的な苦境や研究進展の鈍化が,10数年来順調に深刻になってきているというような空気を感じる.しかも,以前よりも増して「ノーベル賞を貰えればそれはそれで嬉しいけれども,役に立つかどうか分からない研究にお金を回せる財政ではないよね.」という意識が国民全体に共有されつつあるように感じる.国民の総意がそうなら,国家予算からのサイエンスに対する支出は益々減ることなるだろう.

もちろん,研究費を国家予算以外から確保すればいいという議論はあるものの,その実現可能性を考慮しない議論は乱暴であるし,あるいは,ひろく一般に公共の事業が本質的にはゼロにはならない事情ーー誰もやらない仕事は公共部門がやらざるを得ないーーも多少は考慮したほうがいいだろう.

ともあれ,このような空気が進展するのであれば,最低限(何を以って「最低限」とするかは謎.)の研究者は残るにせよ,将来的には他国の研究成果の恩恵に左右される生活を身の丈に合った形で細々と営む国民になるのだろう.

そのようになることを私は望まない.しかし,諦めるしかないと思う.だから,このようなサイエンス減退の空気が進む状況を「深刻」から一文字借りて,「進行」ではなく「深行」と表現した.

ここではサイエンスについて書いたけれども,文系学科に対する文部科学省の昨年来の仕打ちもこれと軌を一にする動きだろう.行政は国民の意を受けて動くべきものなのだから.