労働能率向上は正義か.

働き方改革だとか長時間労働対策だとかの話題の際には,とかく,より効率的に仕事をするための取り組みを始めましょう(そしてハッピーになりましょう),と喧伝されるのだが,はてさて,確かに一部の経営者にとっては労働能率が向上することは企業経営にとって大切な要素だろうから彼らが重視するのは当然であり,したがって労働能率向上と働き方改革とを連動させて語ることは,働き方改革に取り組むモチベーションを経営者層に与えるという点で大切なのだろうけれども,労働能率向上が全ての労働者にとって正しい目標であるとまで言い切れるかどうかは,甚だ疑問だ.

だらだらとした非効率な働き方だって別にいいんじゃないだろうか,会社が潰れない程度であって,生活の糧を得るのに支障のない範囲であれば.だらだらと仕事をしていたら残業が増える? いや,残業なんかしなきゃいい.できない仕事はどうするの? できない仕事はできないのだからしょうがない,そんな仕事はしなきゃいい.

仕事柄,働き方改革推進の話題を語ることが求められる側なのであるが,効率化ばかりを語らざるを得ない欺瞞が気になってしまって,ときどき頭の中に効率化へのアンチテーゼがもたげてくる.

労働の場において効率化を推進しさえすれば創造的でハッピーな何かが生まれると信じることは安易過ぎるだろう.